連載 No.51 2017年03月19日掲載

 

表現を模索する


古い牛舎の中で見つけた牛乳の輸送缶。

朽ちていく木造建築と静かな空間に魅せられて2010年頃から何度も足を運んだが、発表した作品ははこの一枚だけだ。

沢山のイメージを撮影し何度も仕上げてみるのだが、昔のグラフ誌のようなドキュメンタリーの匂いがする。

生活臭の残る牛舎で撮った錆びた缶だからなのか、暗いトーンが当時の印刷物を連想させるのかはわからないが、

自分のモチーフとして取り込むのが難しい。



シルバープリントならではの細密さと階調の豊かさ、自分に引き寄せた表現でやっと仕上げた愛着のある作品ではあるが、

懐かしさと言うのではなく、みょうに古臭く感じてしまうときもある。

特定のモチーフから受ける印象は、刷り込まれた記憶からは抜け出すのが難しいのかもしれない。



中学生のころ古本屋で手に取った古い雑誌。

昭和40年頃のドキュメンタリーは、高度成長の陰の部分を取り上げたものが多かったように思う。

錆びて捨てられた機械や古い工場、開発の片隅で消えていくものたちは、

粗末な印刷の中でかえって輝いて見えた。

白と黒だけで構成されたハイコントラストの写真は、目の粗い印刷でも見るものに強い印象を与えた。

印画紙本来の幅広い諧調とはとはかけ離れているが、当時の印刷の為に作られた表現だったように思う。



当時雑誌で評判だったことのある有名写真家の作品に後年美術館で触れる機会があったが、なんとなくぴんとこなかった。

額に入ったオリジナルプリントなのに印刷物よりも印象が薄かった。

そうかと思えば、忘れられていた昔の作品が新しい表現を加えて展示したことで昔より強い印象を受ける場合もある。

写真集で著名な賞をとった現代の写真家でも、展覧会を見るとオリジナルはつまらなく思えたりするのはなぜだろう。



最終形態や目的によって写真の作り方、使われ方はまったく違う。

プリントや技法と言うことでなく、撮影する視点も同じではない。

何十万部と印刷され時間の中で消費されるもの、写真集として一まとまりのイメージを表すもの、

額に入れて生活空間の中で長い時間を一緒に過ごすもの、

その時代その場所に最適化された表現を模索することが必要だ。



この写真は額に入れられて飾る為に作られたものだ。

新聞の印刷の中でどのように見えるのだろうか?

受け止め方は千差万別。結論はないのかもしれない。重要なのは模索することだ。